2017年1月13日金曜日

『獄中記』による勉強が楽しい、まだ読み終えてないが

 
(ベランダで元気なのはシャコバサボテン)

 佐藤優『獄中記』を読み進める。

 9月14日の記述
 「小泉政権の誕生以降、強く感じ、今回、僕自身が当事者になって体験したことだが、日本人(政治エリート、学術エリートの大多数を含め)は、いつの間にか物事の論理や構造や意味をよく理解できない人たちになってしまった。」

 文意には同意する。ただし、「理解できない」理由については、佐藤優氏と私は意見が違う。彼は自分は宗教的人間だといっているとおり、物事の論理や構造を先験的に理解し、信ずるところに従って解決しようとする。絶対に正しいものが何処かにあり、それに従うのが本来あるべきことと考える。もちろん、政略というものの重要性も認めた上で。

 私は。「理解できない」理由は、科学的・技術的訓練の不足だと思っている。そして、初めから正しいものは存在せず、仮説検証の(科学的)プロセスをたどって、いま「より正しい」ものに近づくべきだと思っている。

 9月20日の記述
 「持続的経済成長がハイエク型新自由主義モデルで国民全体が裨益するための大前提であるのだが...この大前提が満たされなければ、今後3年で日本社会内の貧富の差がかつてなく拡大する。」

 持続的経済成長、別の言い方をすると2%の経済成長は、その後10年程度の経過を見ると、全く無理とわかってしまった。事態の打開策として多民族国家への道を佐藤優氏は示しているが、9.11テロ後そしてトランプ以降の世界は、まったくこれに反した動きを示した。

 死んだと『獄中記』に書かれた社会主義を再度作り直すのが道の一つと私は考えている。ただし佐藤氏も言っているような共産全体主義に帰結するようなすでに破綻した社会主義ではなく、英国の初期の社会主義的ななにかが。ここは、これから考えをめぐらしたい。
 
 このあとの記述で佐藤優氏は、カレル・チャペックやルカーチの紹介もしている。

 了解!ということで、今後読む本のなかにチャペックやルカーチを入れたい。
 ルカーチについてはトーマス・マン(のフェーリクス・クルルについて)の論文で、明快な論旨に私はしびれたことがあるが、佐藤氏は文章が難解だと書いている。先程書いた、佐藤氏と私の立場のちがいが原因だろう。

 歯医者に行く時間なので、この続きはまた明日(^_-)

 

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