2017年1月19日木曜日

冬休みの宿題 読書感想文『ロマンの魔術師』(その2) 付録『戯作三昧』つき

 ルカーチの『ロマンの魔術師』を読み続ける。2番めの「太閤殿下」は読み飛ばす。1と論旨は同じかと。

 3番目の論文は「現代芸術の悲劇」で80ページ近い。長い。

78ページ。「トーマス・マンの発展のおよその足どりは、ゲーテのそれと興味ある並行性と、同時に対照性を見せている。」

 ゲーテはフランス革命を経験した、そしてマンはもちろんナチズムと連合国との抗争をそして共産主義の台頭も体験した。ルカーチはゲーテがその経験を活かして成長したのに対し、マンは体験を活かしきれず中途半端な状態を続けざるを得なかったと言っている。


 90ページ。「ヨゼフの教育とは、まさにこういう態度の克服なのである。」
 こういう態度とは、ドイツ国民にもある独善性のことと思う。そしてそれを「教育」するのは、ヨゼフに対してはエジプトなのだが、エジプト自体がその当時、健全な状態ではなく、「教育」は不十分に終わる。

 これは、亡命してきたマンに対する、米国の状態に通じるような気がした。ナチズムを倒し、日本を倒しても、共産主義の「脅威」をも倒すまでは、米国人は「教育」ができない。

 共産全体主義のソビエトを倒しても、他の共産主義国は残っているし、新たにISの「テロ集団」も倒さなければならない。米国はいつまでも、亡命民そして自国民の「教育」に苦慮する。が、これはあとの話だ。

 ともかく、論文執筆当時のルカーチにとってはトーマス・マンの態度は歯がゆいが、本人の状況を考えると同情の余地が十分ある、と考えたのではないか。
 このあと、4番目の論文は未完の小説「詐欺師フェーリクス・クルル」に関するものだが、ここでなんらかの思想的発展を、ルカーチが認めてくれるかが、興味深い。

(i読書を使用中のスクリーンショットです)


 ここまで読んで夜中になった。花粉症のかかりはじめで、体にアレルギー性の発疹がでていて、かゆい。眠れないので、導眠剤として、青空文庫を利用する。iOSのアプリで「青空文庫 i読書」というのがある。これで、「日替わりランダム100」という機能(上記のスクリーンショットご参考)を使って、なにか読むというのが今のお気に入り。

 今回は芥川の「戯作三昧」を推薦してきたので、読んでみた。滝沢馬琴が南総里見八犬伝を書いているときの挿話で、非常に面白いし、創作の醍醐味も伝わってくる。創作の苦しさもだが。
 八犬伝も読みたくなるが、我慢しないとここにもドロ沼が口を開けている。くわばらくわばら。

 よく寝られたので、今朝は花粉症の具合はかなり良い\(^o^)/

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